旦那様はユダヤ人

ユダヤ系アメリカ人と結婚した私の日記。子育て、ビジネスの仕方、生活習慣など「おっ」と驚いたことなどをまとめました。


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 義理のママとの会話で驚くのは、子供の才能の伸ばし方そしてその子供が他の子供より長けている才能と思うものを見つけることです。

 別々に住んでいる2~3歳の孫達の才能をすでに見極めているのです。日本人も自分の子供に対し教育熱心だと言われますが、日本人との違いは才能の伸ばし方だけではなく、見つけ方という点でも特に大きな差を感じます。

 家族みんながフロリダに旅行へ行った際、日本人の聞き分けのいい子供達に比べ、オムツをつけ、泣き喚き、うるさく圧倒的にお行儀の悪い甥っ子達に我慢ができずある日主人は、「なんでうちの甥は野生児(ワイルドアニマル!)なんだ!」と言って、甥の母親である主人の妹と大喧嘩になりました。

 その私達から見ると、まだまだ野生児である甥っ子一人一人の得意分野を義理の母は会うたびに話してくれるのです。しかもまだ1歳ほどの赤ちゃんの時からです。

 あの子はね、数字をもう覚えてしまっているの。理系なのね。パズルも大好きだし得意なのよ。ということでその子へのお誕生日やハヌカ(「奉献」の意味ですが、12月中ごろのユダヤ系のお祭り。紀元前2世紀あたりから続く)のプレゼントは、お爺ちゃん、お婆ちゃんからだけではなく、私達叔父、叔母からもパズルや数字を使った知能系のおもちゃなどになるのです。年に数個ずつそういったプレゼントを貰い、そして一族で褒めまくるので、もっともっと才能が伸びていくでしょう。
 
 甥っ子の中には、スポーツと数学が大好きな子がいて、3歳あたりからバスケをしていたものの、8歳である今は野球やサッカーなども加わり、スポーツ全般で大活躍(義理母曰く)している甥がいます。
 勉強は全くだめなのかと思っていたら、最近数学が得意ということで、グングン成績も伸ばしているようです。長年のプレゼント(スポーツ用品のみならず、最前列でのNBAの観戦券など義理の父も母もがんばるのである)そして褒めの作戦(?)で、スポーツではその地区の代表にも選ばれているし、いつも自分より2~3年上の子供に混じってプレーしているようです。

 絵が上手であれば、絵を描く機会をどんどん与え、美術館などにも頻繁に連れて行くなど、周りの大人もその子供の才能を伸ばすために最大限努力するのです。そして、いろいろな機会も与え、挑戦させます。また、一つの才能のみならず、他にもいろいろな才能も探そうという周りの努力も素晴らしく思います。

 苦手を克服させ、全ての教科全体的に成績を上げようとする日本の親と、得意教科をぐんぐん伸ばしていく教育法。さて、さて、私はどう子供を育てようかな~。妊娠さえしていない私の空想は続く。。。

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 「褒めるとね子供はとっても喜ぶし、もっとがんばるのよ!」そう義理のママは言う。ただ、この褒めるというのが、ユダヤ人とりわけアメリカのユダヤ人になると、日本人の褒め方とはちょっとというかかなり違うのです。

 日本人の私から見ると、ユダヤ人の彼ら彼女らは、
1. 声が無茶苦茶大きい!
2. おしゃべり!
3. ちょっと大げさ!
 な褒め方をするので、この年の私でさえ褒められると飛び上がるほどとっても嬉しくなってしまいます。

 例えば、主人の妹の子(両親とはもちろん別居だが、近くの町に住んでいる)幼稚園の甥っ子(ザッキー)が絵を描き、義理の母に見せたとする。

祖母「まあ、ザッキー絵を描いたの?!お婆ちゃんが見てもいいかしら」
甥 「うん」
祖母「Oh, my god!ザッキー、(驚いた顔で)なんて素晴らしい絵なの!これ本当にザッキーが描いたの。ま~、信じられない!」
甥 「これはね~犬なの。」
祖母「まあ、なんてかわいいの。すごく上手だわザッキー。おばあちゃんにハグ(抱きしめて)ちょうだい。まあ、ザッキーはとっても才能があるわね」

 そういいながら、子供を思い切り抱きしめながらなでてあげている。これを3分で終わらせたりはしない、10分くらいは続けるのです。同じ言葉を使うのではなく、様々な言葉で、褒めてあげるのです。褒めてあげると記したものの、義理の母は心からそれを喜び楽しんでいるので、わざとらしさも何もありません。

 オムツをつけている子供がトイレで用を足したときも、子供が初めて言葉を発したときもそういう感じで褒めまくるのです。

 「Oh my little princess!よくやったわね。あなたもこんなに大人になったのね。すごいわ~。ご褒美のキスをあげるわ!」

 私はまだ子供がいないので、初めておまるで用を足したときに、日本人もプレゼントを渡すのかはわからないのですが(あんまり聞きませんよね?!)、義理の母は、その日のためにいとおしい孫になんときちんとリボンでラッピングされたプレゼントを準備していました。

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(昨日の続き)その教育熱心でほめ上手な義理の母、今度は地下の物置に私を連れて行き、「ほらこれもそう。あれもそうよ!」と妹弟のものも含め数十にも及ぶ子供たちの“作品”を見せてくれたのです。

 安い額でいいというものの、白いプラスチックの見るからに安っぽい額ではなく、家の至るところに飾られている数千ドルの絵画に使われているような、木で縁取られた額に子供達の絵はいれてありました。

 子供にしてみると、自分の絵は高い画廊で売られているそれらの絵画と同じように扱われて、特別だと感じたことでしょう。

 それら額に入れられた作品の中には、絵でもなく、写真でもなく、なんと小学校のときうちの主人の弟が書いた「作文」までもが入れられていたのです。主人の弟の作文は、本当にノートの切れ端で、ノート1枚がびりびりと(日本人のようなきれいなビリビリではなく、本当にビリビリです!)破られ、しかも子供の字でグチャグチャに書かれた鉛筆の上に、先生の赤ペンの修正の後まであったのです。

 とっても素敵なことを書いてくれていたのよ。ニコニコしながら義理の母が説明してくれたのは、母の日のために弟が書いたという母への感謝と忠告(タバコを止めるように)を書いた作文でした。

 これは誰々が何歳の時、これは何年生の時。。。そう義理のママが説明してくれていたのだが、絵だけではなく、作文や絵日記やテストなど当時のアメリカの小学校でのカリキュラムが手にとるようにわかるようなものも多くありました。

 日本では額に家族の写真すら飾る習慣もないですし、子供時代の自分の作文を額にいれ飾ってくれている親など私の周りの友人では一人もいません。

 私の親も仮にそういうことをしていてくれたらな~、夏休みの感想文だってマス目を埋めるために適当に本の文書を写したりせず、一文字一文字丁寧に一生懸命書いたであろうし、今頃きっと優秀な人間になっていたんだろうな~。なんて考えてしまった。いまだに子供みたいに人のせいにしてしまう私。。。

 実家の押入れの片隅に数枚残っている私の絵そして、小学生の時の作文なんて一枚も残っていないであろう私とのこの大きな差。それは私にとってとっても衝撃的でした。

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